明日はきっと日曜日

東京の会社で働く新人UX・UIデザイナー

わたしが想うおまえだけ、おまえだけがわたしに見えない(入社11ヶ月目)

 タイトルはリルケの詩から。
 
最近、学生に「どこまでできるようになったら、わたしはデザインができるって言えるんですか?」と無邪気に聞かれた。その場をなんとなく濁してしまったが、私には答えられない。2週間前くらいに聞かれたが、未だに答えは見つからない。
 
職場でまわりにいるデザイナーさんたちは10年以上もデザイナーをやってきた人たちばかりで、WEBデザインのスキルで見たら私のほうができることなんて一つもない。追い越したいと思っている大学の先輩たちもずっと手の届かないところにいて、同じ距離を保ちながらお互いに走り続けているような感覚がある。
 
私にとってデザインって、ある種、苦しみながらひねり出すようなイメージが染み付いてるんだろうか…よく締め切り日ぎりぎりで本当に泣きながら手を動かしたり、プレゼン前一週間は睡眠時間を限界まで削って当日朝まで作業していたりしていたからだろうか。だから、デザインすることに対して心身の苦痛が少ない今の状況に対して、自分は何もしてないんじゃないか?手を動かす時間も思考する時間も圧倒的に足りていないんじゃないか?人間性を全て投げ出さなくてはいけないのにこんなに余裕があっていいのか?…という焦燥と渇望を感じている、気がする。大規模サービスでデザインをする上では、問題なくスケジュールどおりに遂行することが1つのマストの達成点であることは理解しているが、最近は焦りだけが募る。
 
「自分の強みを見つけていけるといいよね。でも、一番は人として、一緒に仕事したいって思ってもらえるかどうかだよ」と職場の先輩にはよく言われる。
 
働き始めてもうすぐ1年が経つ。できることも大幅に増えたし、視野も広がったと自負している。
それでも私は、私が求めているところまで全然足りない。
私が「わたし、デザインできます!」と言える日は永遠に来ない。だから走り続けるしか方法が見つから無い。
ということで(?)、副業探しています。
 
リルケ詩集 (新潮文庫)

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