明日はきっと日曜日

東京の会社で働く新人UX・UIデザイナー

デザイン関係思考走り書き(入社9ヶ月目)

Twitterにぱらぱらと書いておいたことなど、つらつらデザイン関係の思考メモ

■IT系デザイナーについて思うこと

最近は、UI用のデザインツールの普及で、「独学でUI デザインについて学びました!」「デザインできます!」みたいなデザイナーが増えてきたなと思う。もしかしたら私のツイッターの観測範囲の偏りかもしれない。
 
「そんな表面的なデザイナーは本質的な意味でデザイナーじゃない」というtraditionalなデザイナーの意見もよく聞きます。「私デザインできます!」「俺エンジニアだけど、デザインも余裕でできるぜ!」というデザインの浅い理解(という印象)がはびこってるという話もわかりつつ、それでも個人的には、デザインツールの発展・普及によってデザインの敷居がさがり、なんちゃってや自称も含め”デザイナー”の人口が増えるのは良いことだと思う。
 
デザインそのものはその思想や哲学も含めて、自分が一生をかけても学び足りないかもしれないと常々考えるのですが、そもそもデザインに興味をもってもらわないとその深さに価値がでない。だから、せっかくデザインに触れた人が深い理解の存在に辿り着く前に「私デザインできてるじゃん」という自己満足に終わらせないための何かは必要である気がする。
 
最終的には、デザインするという意識もなくなって、自然の行動の結果になればいいよね。

■上流のデザインと下流のデザイン

今はゴリゴリUIデザイナーとしてざ・下流のデザインを会社でさせてもらっている。
ちなみに、会社としてはかなり稀なポジションだし、上司もコイツどうするかな〜と悩んでる気がする…笑
口だけUXおじさんにはなりたくないなと思う一方、手だけ動かしても駄目だなとも思う。上流と下流を行ったり来たりすることで、見えてくるものは絶対にあるなと確信してる。ちょっと意味はちがうけれど、鳥の目虫の目でものを見る。この辺りの感覚を、時間があるときに知識をまとめてうまく体系化したい。おそらく鍵となるのは、手を動かすことはデザイナーがユーザーを”想像”する1つのアプローチであることだと思う。上流のデザインだけではたどり着けない想像の具体化。

■デザインのナレッジシェア

エンジニアリングの思想のコアには、”効率”がある。この効率の文化こそが、エンジニアの勉強会とかナレッジシェアを行う風土を作り上げているのではないかと。一方、本質的な意味でデザインに効率化は存在しない。(もちろん、ツールの使い方で、効率を上げることは可能である)。エンジニアの勉強会を模したデザインナレッジシェア会は、あまりデザインに向いていないと思う。デザイン文脈の中で、参加してくれた人たち全員が持って帰れるようなナレッジ共有とはどのように行うんだろうか、思考中です。

■転職について

最近海外に転職をするためにポートフォリオ作成をしている大学の先輩の話を聞いた。
私が働いている会社は人の動きが早い会社なので、自分も例に漏れず今の会社にずっと在籍する事は考えていない。3年後どうありたいのか?はそれなりに具体的的に目標設定していたつもりだが、先輩と同じように、成果物ベースで○○という条件下で何を作れたら会社を辞めるのかという目標を立てるべきだなと思った。

■AIが発達した社会について

価値の源泉が「人間らしさ」になるのでは?と思っている。そうなったときに価値が出るものとは、AIとは違う完成の方向性をもった人間でしか作れないもの(クラフト・工芸)や人間の身体美(スポーツなど含む)なのではないかと予想している。
例えば、「手仕事のお皿」みたいなものの作り方がナレッジがAIに学習され、人間が手仕事で作るものと全く同一のものがAIを使って作れるようになったとしたらどうだろうか。その場合、「人間が作った」というプロセスそのものが重要になってくるのではないか。現在で言う、外国産と国産くらいの粒度かな、多分。
 

■頭の良さとは何か

会社で働きはじめて、同期にも先輩にも頭がいいなと思う人が本当にたくさんいて刺激的である。
そして頭が良い、頭が切れると言われる人たちを分解してみると色んな種類があるように感じる。 
判断が早い、理解が早い、物事の抽象化・整理がうまい、思考力があり物事を深く考えられる…など。複合的に持っていることもありえるし、どれか一つに該当して頭をよく見せるのが上手な人もいる。このあたり、本人の性格と含めてもうちょっと分析してみたい。私は頭がいい方ではないので、真似できるところは真似したい。
 
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次回更新は年末かな〜