明日はきっと日曜日

東京の会社で働く新人UX・UIデザイナー

灼熱の東京でアイスコーヒーを飲む(入社1年と3ヶ月目)

仕事が一息ついたときに、休みが取れたときに、思い立ったときに
その時期の感情を非公開の文章にして残している。
出来事を客観的に事実ベースではなく
「どう思ったか?」「どう感じたか?」「何を学んだと思ったのか?」を意識して書き残しておく。
出来事は事実としてそこに残るが、
感情は走るように移ろって、あったはずのものが薄くなってなくなってしまう。
 
最近は自分の介在価値について考えている。
 
先月末で会社をやめた先輩と短いながら最後にゆっくり話をする機会があった。
WebやアプリのUIについてざっくばらんに話をしていたが、こんな話が印象に残った。
 
これまでは、一定基準の箱を準備することそのものが大変な時代だったが
これから更に重要になっていくのは、箱ではなく中身(コンテンツ)である。
 
今の時代はツールを使えば誰でもかんたんに箱を作れてしまう。
(さらに、AIに今後置き換わるのはまずここからだと想像する。)
だから大事なのは無味無臭の美しく整った箱を作ることではなく、
中身の深さや多様性であり、
箱を作る私達はその中身の個性にぴったりな箱を仕立てることに意味がある。
 
そして中身にぴったりな箱を仕立てるためには、
箱をつくりあげるHowのスキルだけではなく、
中身のWhatをつくりあげるスキルだけではなく、
箱のHowと中身のWhatをしっかりと紐付ける力が必要ではないか?という内容だった。
 
そんな話を思い出しつつアイスコーヒーをすすりながら私は考える。
あらゆるものの自動化が進む中で人間らしさとは何か。
効率化で大切なものを失わせないためには何が必要なのか。
 
わたしはランダム性・不確実性こそが人間らしさではないかと思う。
ポジティブにもネガティブにも、
時々自分でも制御できないような感情に突き動かされるような瞬間が人生には何度かあった。
自分自身がそんな瞬間にもっと出会いたいし、
まわりまわって間接的にでも
だれかのそんな瞬間(できればポジティブによったもの)に立ち会えたらいいなと思う。
 
デザインの賞味期限が短いUIデザインで
人間のわたしが明日に残せるものはなにかを考える。
土曜の昼、東銀座にて。