明日はきっと日曜日

東京の会社で働く新人UX・UIデザイナー

入社して1年が過ぎました

入社して1年が過ぎた。
自分がこの一年で何を経て、何を望んで、いまどんなことをしている道の途中にあるのか、この土日はほどんどどこにも行かず誰にも合わず、コーヒーを淹れてゆっくり棚卸しをした。
 仕事周りのことが多いのでブログには詳細にかけないけれど、
この一年で学んだことや考えたことをいくつか書き残しておく。

デザインルールの制限と更新性

規模の大きいデジタルプロダクトのにおけるデザインルールを作る際には、流動性や更新性を担保する仕組みをフローの中へ入れ込むことが重要である気がしている。Webデザインやアプリのデザインは、グラフィックデザインやファッションデザインに近い”流行”があるため常に変化し続ける。大規模プロダクトでは「せーの!」で好きな時にデザインリニューアルすることは難しいので、ルール設計時に、統一性をどのよう担保し、ルールをフレキシブルにするかを検討する必要がある。ルールの制限のかけ方は、サービスのスケールやフェーズによって異なり、チューニングが必要なのだろう。

デザイナーのヒューマンスキル

プロダクトデザインの分野にもグラフィックデザインの分野にも職人的なデザイナーはいる。デザインとしてプロフェッショナルなものをストイックに作るのは憧れるしかっこいい。でも、事業会社のUIデザイナーとなるとおそらく話は別で、コミュニケーションの重要度がかなり高くなる。プロフェッショナルとしてデザインタスクをこなすことはもちろんのこと、加えてコミュニケーション力などのヒューマンスキルが必要となる。会社にいるデザイナーではない人たちは、それぞれ他の分野に精通しており、自分の分野に対しての思いや課題としていることを持っている。私はデザイナーとしてもつ課題がどうして重要であるのかを説く必要がある。デザインやクリエイティブが成熟していない会社において、どうしてデザイン・クリエイティブが重要なのかを相手の言葉で言語化することが非常に重要になってくる。自分はヒューマンスキルが高くはないので、相手にとっての自分に対するコミュニケーションコストをいかに低くできるか?を意識している。

名前を与えることで意味が生まれる

行為や現象に名前をつけることは、そこに明確な輪郭をあたえる。同時に、輪郭を与えることで、その中身が変容する。デザインにも通ずると思う。

自分をもっと信じても良い

理由が無いわけではなく、理由を分解できていないものはたくさんあるが、嫌いなものは嫌なままで良いと思った。無理に人に合わせる必要はない。好きなものは好きで良い。

 

誰かがいいね!と思ったものをいいね!それいいね!すごいね!ってつくっていける社会になって欲しいと思った、社会人一年目の終わりです。

 

わたしが想うおまえだけ、おまえだけがわたしに見えない(入社11ヶ月目)

 タイトルはリルケの詩から。
 
最近、学生に「どこまでできるようになったら、わたしはデザインができるって言えるんですか?」と無邪気に聞かれた。その場をなんとなく濁してしまったが、私には答えられない。2週間前くらいに聞かれたが、未だに答えは見つからない。
 
職場でまわりにいるデザイナーさんたちは10年以上もデザイナーをやってきた人たちばかりで、WEBデザインのスキルで見たら私のほうができることなんて一つもない。追い越したいと思っている大学の先輩たちもずっと手の届かないところにいて、同じ距離を保ちながらお互いに走り続けているような感覚がある。
 
私にとってデザインって、ある種、苦しみながらひねり出すようなイメージが染み付いてるんだろうか…よく締め切り日ぎりぎりで本当に泣きながら手を動かしたり、プレゼン前一週間は睡眠時間を限界まで削って当日朝まで作業していたりしていたからだろうか。だから、デザインすることに対して心身の苦痛が少ない今の状況に対して、自分は何もしてないんじゃないか?手を動かす時間も思考する時間も圧倒的に足りていないんじゃないか?人間性を全て投げ出さなくてはいけないのにこんなに余裕があっていいのか?…という焦燥と渇望を感じている、気がする。大規模サービスでデザインをする上では、問題なくスケジュールどおりに遂行することが1つのマストの達成点であることは理解しているが、最近は焦りだけが募る。
 
「自分の強みを見つけていけるといいよね。でも、一番は人として、一緒に仕事したいって思ってもらえるかどうかだよ」と職場の先輩にはよく言われる。
 
働き始めてもうすぐ1年が経つ。できることも大幅に増えたし、視野も広がったと自負している。
それでも私は、私が求めているところまで全然足りない。
私が「わたし、デザインできます!」と言える日は永遠に来ない。だから走り続けるしか方法が見つから無い。
ということで(?)、副業探しています。
 
リルケ詩集 (新潮文庫)

リルケ詩集 (新潮文庫)

 

 

美しさと自然の関係性

初めて海外に行った時、街中の景色の違いに驚いた。実際に生活をしてみて、美意識のちがいを感じることが多々あった。それからゆるーく”西洋の美しさ” ”東洋の美しさ”の概念の違いは何から生まれたものだろうか?と問い続けている。

「身長の高さ・顔の彫り深さのような人間の身体的な特徴や街中の建築物などの、人間が歳をかさねるなかでは”毎日生活の中で目にするもの”がなんとなく疑問のヒントになっているような気がしている」という話を会社の先輩にポロッとした時に

「きっと美しさは自然環境につながってるんだね」とコメントを貰った。

一般的には、自然環境への適応の結果が人間の体格差・容姿・顔の形の違いだと言われているらしい。建築も俯瞰していると、日本の建築と西洋の建築の違いを生み出す大きな原因の一つは地震の有無だと思っている。

全ての原点は自然にあると言ってしまえば、私達が生物として存在している限りそうなんだろうけど、もう少し分解したくなった。

 ということで、「自然」「美」などのキーワードでつながる本の手始めとして読んだ本。自然の形と人工物の形を体系を見直しながら、形の美とはなにか?を紐解いている本。

形の美とは何か (NHKブックス)

形の美とは何か (NHKブックス)

 

以下はネタバレ(?)というか本の要約です。

自然の形は美しさの原点

私たち人間は自然の造形をモチーフとして紋様化し、装飾美術を作り上げ、世界各地でそれぞれの時代の様式美を作り上げてきた。自然の形=美しさの原点であり、その造形特徴は次の4点である。

  • 自然の法則、造形の秩序に準拠した機能の形である
  • 形状がなめらかで無駄がなく有機的形体(オーガニック形体)である
  • フラクタル性の形では、自己相似性による黄金比の持つ美しさを形体している
  • セルオートマトンによるリズミカルなパターンが見られる(貝類や動物や模様)

日本の美も西洋の美も、同じルーツ原点(=自然の形)

日本の美=非定型・非対称の自然の美

ジャポニズムの造形原理は日本人の自然主義に根ざす美意識の視覚言語である。日本人は古来、美の究極は自然にあり自然と一体となり融合することが最高の美であると信じていた。精神性の美術表現は抽象性を高め、遠近法を無視した平面的装飾的表現を推し進め表現による、飛躍や誇張を高めたのである・

西洋の美 美の規範=対称性や黄金分割などの絶対美 

ギリシャ時代以降ユークリッド幾何学の合理的で科学思想優先の西欧文化では、幾何学的形態や黄金比と対称性の数理的規範への傾斜が当然の帰結であり、美の原理もこの思想下にあると考えられていた。

著書のなかで、複雑な形・出鱈目な形といわれてきた自然系の非定型の形の中にも、フラクタルな一定の秩序があり、それらた黄金比と密接な関係があることが述べられている。複雑な日本の黄金比と西洋の黄金比が非常に近いものであるらしい。

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東洋も西洋も自然の形という同じルーツ原点を持つが、思想の違いによってその捉え方が異なっていたという話だった。グローバル化が進んでいき、美しさの基準はどうなっていくんだろう?

あんまりデザインの歴史などの教養は人並みくらいにはあるけど、美術はわりと無縁なのでもうちょっと勉強したいなと思いながら時間が足りずいつも後回しになってしまう…。次は、別の人にすすめられた和辻哲郎読みます。

 

風土―人間学的考察 (岩波文庫)

風土―人間学的考察 (岩波文庫)

 

タイポフェイス基礎知識_欧文フォント・セリフ体について

みなさん、フォントを雰囲気で選んでませんか?

私も今まであまりフォントに興味がなく、最低限の知識だけでどうにかしていましたが
そろそろ必要になってきたので基礎から勉強しています。
といっても専門の職種があるくらいとても深い分野なので、さわり程度ですが。

今回はセリフ体の代表的な4種類のまとめ。

Old Style

f:id:riririot:20180107221510j:plain 代表フォント Garamond / Caslon / Century Oldstyle など

  特徴

  • セリフ*部分がブラケット(三角形っぽい形)
  • ストレス(曲線の細い部分を結んだ線)が斜め
  • 縦線と横線の太さの差が穏やか

Modern

f:id:riririot:20180107221534j:plain 代表フォント Bodoni / Computer Modern / Didot など

特徴

  • セリフ部分がヘアライン(細い直線で水平)
  • 縦線は横線の太さの差が極端

Traditional

f:id:riririot:20180107221724j:plain 代表フォント Baskerville / Times New Roman / Century など

特徴

  • セリフ部分が三角形っぽい
  • Old StyleとModernの中間的な造形
  • Old Styleに比べてセリフ部分が直線的  

Slab serif

f:id:riririot:20180107221712j:plain 代表フォント Claredon / Cario / New Century Schoolbook など

特徴

  • セリフの部分が太め
  • 縦線と横線の太さがほぼおなじ

次回はサンセリフまとめです。 ちなみに今回はマークダウンで書いてみました。

そのデザインで誰が幸せになるのか?をデザイナーは意識するべき

デザインとは未だ存在しないものを想像し作り上げていくことである。
 
一言でデザイン、と言ってもその幅は広い。
遠い10年先の未来ビジョンであったり、はたまた目の前のアプリUI、ゴリゴリのプロダクトデザイン、商品の宣伝をする電車の広告。
時間軸も次元も媒体も多岐にわたることが、デザインという言葉の持つ多様性である。
 
そんな多様性の中、デザインのもつ共通項とは
”未だこの世に存在しないモノを様々な手法をつかって想像し作り上げること”であると思う。
殆どの場合、アウトプットは何かしらのかたちで可視化される。
グラフィックや3Dモデルはもちろんのこと、文章やサービスモデルなど、誰かに伝わるかたちに変換することがデザインの役割である。
 
デザイナーが想像し作り上げ可視化されたものは力を持つ。
サービスやモノのコンセプトや意図をカタチに落とし込むことで、見た人に伝えたいことを伝え、与えたいことを与えることができる。デザインは人のこころをつかみ、行動や潜在・顕在意識を変えることができる。
 
だからこそ、デザイナーは作り上げたもので誰が幸せになるのか?を意識しなくてはならないと私は思っている。
今年話題になったサービスCASH。
デザインも「ポジティブなお金の表現」というコンセプトを元に、かわいいイラストやインタラクションをふんだんに使った軽やかなデザインに落とし込んでいる。
インターネット上ではコンセプトドリブンでデザインが落とし込めていることを絶賛されている。(↓ブログは1例である)
 
私はCASHのデザインが大絶賛されていることに疑問を抱いている。
たしかにプロダクトとしてデザインは素敵で洗練されていて、インタラクションも今風で気持ちがいい。
 
しかし、そもそものサービスコンセプトはひらたく言ってしまえば質屋アプリである。
(このブログの記事がわかりやすいhttps://hajipion.com/2484.html
 
質屋と同じサービスモデルを、デザインでごまかしているように見受けられる。
上記のブログの言葉を借りて言い換えると、
 
デザインを使って「一時的に物を預けて今すぐお金を借りること」を
錬金術かのように錯覚させ、お金を借りることのハードルを下げている。
 
デザインで恣意的にお金を借りることへの抵抗感をなくしている。
サービスで生み出したい体験「ユーザーにお金を借りさせる」ことは誰を幸せにできるのか?答えは明快で、サービスオーナーである。ビジネス上の利益のみが最終的な目的である。それを使うユーザーは最終的に幸せになれるのだろうか。
 
意図しているイメージを植え付け、行動を起こさせる、これがデザインの力である。
伝えたいメッセージを届ける、与えたい印象を作り上げる、ネガティブな事に対してもネガティブさを隠し騙すことができる。
 
だからこそ私達デザイナーは、を問い続けなければならない。
そのデザインで誰が幸せになるのか?
 
デザインと倫理の問題は奥が深い。
 
 

デザイン関係思考走り書き(入社9ヶ月目)

Twitterにぱらぱらと書いておいたことなど、つらつらデザイン関係の思考メモ

■IT系デザイナーについて思うこと

最近は、UI用のデザインツールの普及で、「独学でUI デザインについて学びました!」「デザインできます!」みたいなデザイナーが増えてきたなと思う。もしかしたら私のツイッターの観測範囲の偏りかもしれない。
 
「そんな表面的なデザイナーは本質的な意味でデザイナーじゃない」というtraditionalなデザイナーの意見もよく聞きます。「私デザインできます!」「俺エンジニアだけど、デザインも余裕でできるぜ!」というデザインの浅い理解(という印象)がはびこってるという話もわかりつつ、それでも個人的には、デザインツールの発展・普及によってデザインの敷居がさがり、なんちゃってや自称も含め”デザイナー”の人口が増えるのは良いことだと思う。
 
デザインそのものはその思想や哲学も含めて、自分が一生をかけても学び足りないかもしれないと常々考えるのですが、そもそもデザインに興味をもってもらわないとその深さに価値がでない。だから、せっかくデザインに触れた人が深い理解の存在に辿り着く前に「私デザインできてるじゃん」という自己満足に終わらせないための何かは必要である気がする。
 
最終的には、デザインするという意識もなくなって、自然の行動の結果になればいいよね。

■上流のデザインと下流のデザイン

今はゴリゴリUIデザイナーとしてざ・下流のデザインを会社でさせてもらっている。
ちなみに、会社としてはかなり稀なポジションだし、上司もコイツどうするかな〜と悩んでる気がする…笑
口だけUXおじさんにはなりたくないなと思う一方、手だけ動かしても駄目だなとも思う。上流と下流を行ったり来たりすることで、見えてくるものは絶対にあるなと確信してる。ちょっと意味はちがうけれど、鳥の目虫の目でものを見る。この辺りの感覚を、時間があるときに知識をまとめてうまく体系化したい。おそらく鍵となるのは、手を動かすことはデザイナーがユーザーを”想像”する1つのアプローチであることだと思う。上流のデザインだけではたどり着けない想像の具体化。

■デザインのナレッジシェア

エンジニアリングの思想のコアには、”効率”がある。この効率の文化こそが、エンジニアの勉強会とかナレッジシェアを行う風土を作り上げているのではないかと。一方、本質的な意味でデザインに効率化は存在しない。(もちろん、ツールの使い方で、効率を上げることは可能である)。エンジニアの勉強会を模したデザインナレッジシェア会は、あまりデザインに向いていないと思う。デザイン文脈の中で、参加してくれた人たち全員が持って帰れるようなナレッジ共有とはどのように行うんだろうか、思考中です。

■転職について

最近海外に転職をするためにポートフォリオ作成をしている大学の先輩の話を聞いた。
私が働いている会社は人の動きが早い会社なので、自分も例に漏れず今の会社にずっと在籍する事は考えていない。3年後どうありたいのか?はそれなりに具体的的に目標設定していたつもりだが、先輩と同じように、成果物ベースで○○という条件下で何を作れたら会社を辞めるのかという目標を立てるべきだなと思った。

■AIが発達した社会について

価値の源泉が「人間らしさ」になるのでは?と思っている。そうなったときに価値が出るものとは、AIとは違う完成の方向性をもった人間でしか作れないもの(クラフト・工芸)や人間の身体美(スポーツなど含む)なのではないかと予想している。
例えば、「手仕事のお皿」みたいなものの作り方がナレッジがAIに学習され、人間が手仕事で作るものと全く同一のものがAIを使って作れるようになったとしたらどうだろうか。その場合、「人間が作った」というプロセスそのものが重要になってくるのではないか。現在で言う、外国産と国産くらいの粒度かな、多分。
 

■頭の良さとは何か

会社で働きはじめて、同期にも先輩にも頭がいいなと思う人が本当にたくさんいて刺激的である。
そして頭が良い、頭が切れると言われる人たちを分解してみると色んな種類があるように感じる。 
判断が早い、理解が早い、物事の抽象化・整理がうまい、思考力があり物事を深く考えられる…など。複合的に持っていることもありえるし、どれか一つに該当して頭をよく見せるのが上手な人もいる。このあたり、本人の性格と含めてもうちょっと分析してみたい。私は頭がいい方ではないので、真似できるところは真似したい。
 
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次回更新は年末かな〜
 

きっと何者にもなれない私たちは

実務について2ヶ月が終わろうとしているので、最近考えていること
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マーケティングとデザイン

上流のデザイン工程で行うリサーチ〜コンセプトの立案までとマーケティングを基にしたコンセプトの立案は似ているな、とここ1年間は感じていた。(実際に、やってることを説明するとそれってマーケティングと何が違うの?と言わることもあった。)マーケティング・デザインの共通点としてあげられる点は、リサーチ〜デリバーまで行うプロセスの類似性にある。決定的に異なる点として、それぞれの最終目標が挙げられる。マーケティングの最終目標は利益の最大化である一方、デザインはユーザー及びステークホルダーの体験の最大化である。

”アカデミックなデザイン”とwebデザイン

現在主流のデザイン教育(私がうけた教育は工業デザインのためここでは主に工業デザインを示す)では、初めにデザインの対象物に対して、ターゲットユーザー定義や使用シーンの設定を行う。デザインのアウトプットを作る過程には体験価値の設定などいわゆる上流のデザインも含まれているため、意識しなくともその過程を経てその価値を理解していく。
 
一方、webデザインは体系化された分野であり、独学で勉強する人も多い。超下流の、とにかく手を動かすことからその人のデザインが始まる。数年webデザインやりました、という人がデザインとは〜みたいに語るうんちくが工業デザイン出身の人だと「そんなの学生のときに学んだわ」レベルの話になりがちである。(実際は経験を伴った知識であるので、その中身に差はもちろんあると思うが)。試行錯誤するうちに得られる経験を基に、上流の知識をつけていくことでイメージに深さが出る。(この辺はクラフトマンシップと似ている)案外いろんなもののプロセスは異なったとしても、到達点は同じである気がしている。
 
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業務の傍ら個人的に、無形且つユーザーが無料で使えるサービスに対してどのようにブランディングをおこなうか、というテーマに取り組んでいる。人間の体験の印象は、「飲食」「人との関わり」「手に取れるカタチ」が大きな要因となりうるらしい。その全てが存在しないサービスにおいては、どのように他と差別化を行うのか。どこにどのような価値を体験をどんなトーンで与えることで、ブランド醸成を行えるのか。この辺の探索をしています。
 
思うところはあれど、上司にも恵まれだいたい良好です(^o^)